魚のスポンジ

友人は境界性パーソナリティ障害 (BPD )、5年の付き合い。

魚の話

f:id:fishpop:20190922191559j:image

あたらしく、ベタを2匹おむかえしました。

 

先代のふーちゃんは亡くなりまして、大変辛いペットロスを経ました。ふーちゃんから学んだことを最大限に生かし、あらたなお魚の幸せを作って行く所存であります。

 

2匹ともクラウンテールの女の子、小さい方はチビちゃん、大きい方はまだ名前がありません。太っているのでデブちゃんというのが呼びやすく、わかり良いのですが、デブちゃんじゃあんまりなので熟考します。

生活リズムの話

f:id:fishpop:20190823101246j:image

睡眠に関する本を読んでる。脳内覚醒物質なんて格闘漫画でしか読んだことなかった。ドーパミンヒスタミンノルアドレナリンセロトニン、総じてモノアミン。

 

眠れなかったらベッドからでる。しばらくしたらベッドに戻る。眠れぬ間は暇なので、音楽をかける。

 

気づいたら朝。6時に起きようと思っていたけれど、前日前々日が遅起きだったので、眠れたのが4:30だった。6時起床はさすがにできず、7:30に起きた。

 

コーヒーをいれて、昨夜仕込んだ桃のジャムをつけてトーストを食べた。しょうがをいれたから桃感は薄かった。9時になったらもう一度朝食をとった。ご飯・納豆・茹でチキン・豆腐。

 

早く起きて過ごしているぶん、普段よりタバコの本数が少し増えたけれど、調子はよいです。

 

夜帰ったらあまりたべず、サプリをのむ。

お金のやりくりの話

f:id:fishpop:20190821232415j:image

昔、雑誌のおまけで手に入れたリサラーソンのポーチ。なかは4つの小分け袋がファイルされていて、金銭管理向き。

 

雑費、食費、交遊費、美容費、趣味費の5項目、各1万円、計5万円が1ヶ月の予算。食費1万円なんてチャレンジだけど、「予算小分け作戦」の初回なので均一に分けた。

 

美容とか趣味とか、これまでは「おかね余ってたら」費やす感じだったけれど、余らないので項目にくわえた。

 

帰路は電車が多いけど、徒歩でも帰れて業務スーパーがある。これが食費月1万円のキモになる。「ばかでかくて、くそやすい」。これが業務スーパーだ。

 

がんばる

優先順位のこと

ほしいものと必要なもの。必要なものから確実に購入するというのが鉄則の人もいれば、逆もいる。欲しいものこそ自分の栄養と考えて、必要なものを後回しにするのだ。パンツが1枚しかないけど、一目惚れしたシャツ買っちゃうとか。

 

私はギリギリ人間なので、ギリギリにならないと事を治められない。奨学金関連の重要書類も、期限最終日に提出した。腰が重いといえばなんか知略家ぽいかもだけれど、単にダルさの化身でしかないのがホントウのところ。

 

出会いは大切。不必要と知っていても、ピンときたら、千円くらいまでなら買ってしまう。たとえばガチャガチャとか、謎の小物など。「ガチャはロマンだ」なんて黄色いポップをどこぞの本屋で見たが、これはおおむね真実だ。

 

そうして買ったものはすべて「お気に入り」だから良い。めぐりめぐって、未来につながるということがよくある。たとえば、謎の小物やガチャのポチャッコ人形は、亡くなった小さな魚に供えるのにうってつけだった。かわいいモノで囲ってあげると、魚も自分も慰められた。

 

窓に貼った目隠しシートは、光を反射して青や赤の色の玉をみせてくれる。これもピンときて購入したものだが、青い光と赤い光は、うしなった魚たちの色だったので、魂のように美しく見えた。

 

今回は必要なもの、下着と炊飯器、そしてマットウな散髪にお金を使った。それから何に使えばよいか。コミュ症を治すための啓発書なんかは「必要」かもしれないが、興味本位で「娯楽」のオカルト本を買ってしまったのはどうだったろう。このオカルト知識も将来役にたつかもしれない。

 

アメリカにUFOは落ちなかったし、ムー大陸は沈むどころか海に浮いてさえなかった。ビッグフットはガチャほどにはロマンがなかった。どうでもいいことが、あとで役に立ちますように。

お金の話し合いのこと

f:id:fishpop:20190805234942j:image

先日の記事が友人をひどく傷つけて、二人は衝突した。問題の箇所は、お金にかんすること。今のこの記事、何度書き直してもうまくいかないから、まとめながら書いていきます。

 

■衝突の原因

私がブログに「友人の衝動的なわがままのせいで、お金を使いすぎた」と書いたこと。予算オーバーの原因が友人だけにあるように書いてあったので、それは違うと指摘された。

 

■経緯

遊ぶ約束をした。

→遊んだ。

→解散の頃に私の予算がぴったり無くなる感じだった。

→友人が「解散せず泊まりに行く」といった

→私は「泊まりに来ちゃダメ」と断った

→友人は「ダメと言われても行く」と言った

→断りきれずに泊まりに来ることになった

→道中に出費があって予算オーバーした

→予算オーバーした旨を、「わがままのせいで予定外の出費があり、予算オーバーした」というふうに、友人が悪いという感じの内容で書いた

→友人ブログ読み傷つく

→衝突した

 

■友人の意見・状況

「低収入というふがいなさを棚にあげて、予算オーバーしたのをこちらのせいにするのはひどすぎる」

「人として最低だ。すぐに謝ってほしい」

「ひどく傷つけられて、ストレスで自傷までした。」

「お金の管理は個人の問題。予算オーバーの問題はそちらの問題なのに、なすりつけられた」

 

■私の意見

「わがままがなければ無かったはずの予定外の出費だから、間違ったことは書いてない」

「低収入なのは事実だけれど、それに見合った金銭管理はしている。だから泊まりに来ちゃダメって断ったのに責めらるのはおかしい」

「予定外の行動は今だけでなく頻繁にある。その積み重ねを無視しないでほしい」

 

■話すうちに気がついてきたこと

・友人は最近の生活で、お金のやりくりという苦手分野にチャレンジしてうまく行きつつあった。そんな時に、些細な出費を責められたら本当に傷ついた・傷つけてしまったということ。

・こちらがそもそも収入がすくなく、常に節約状態だという事実を、私が忘れていたこと。「低収入を棚に上げて」という友人の指摘は正しいということ。

・友人側は混乱して過呼吸気味、「死ぬ」とまで言っている状況。そんなときに自分の非に納得できない私のメンタル?認知?的な問題。

 

■気づくべきところ

・私は、今回の出費の原因が相手にあったとしても、それで痛手を負うくらいに収入が少ないことを認めるべき。「予算オーバーのせいでほしいものが買えなかった」というのではなく、「稼ぎが少なくてほしいものが買えなかった」というのは事実なのだから、相手だけに非を押しつけるのは間違っている。予定外の事をされるのはたしかに困るけれど、そのストレスを相手の責任ばかりにするのは、考えが偏っているということ。

 

■衝突後に気づいたこと

・傷つけた事実と、何で傷つけたかは別問題だということ。傷ついて激怒しているのだから、そのことを謝ることは初めにできたはずだった。納得いかない点は、それから落ち着いて話すこともできたはずだった。

・自我が未熟であると、非を受け入れるのが難しいということ。たとえば私の側では「すぐに謝れない・カタクナになる」という点。

 

■後々おもったこと

多くの状況は、色々な見方ができるということがわかった。切り口を変えることでいくつもの事実を作ることができる。「こうとも言えるし、ああとも言える」を受け入れないと、喧嘩になることもある。

 

とくにストレスフルな状態だと、どうしても自分本位になるのは、皆んなに共通なことかもしれない。「自分がこんな被害にあった」という見方ばかりに偏ると、自分側の非が見えなくなるということ。

 

BPDに限らず精神疾患に関して調べると、よくまわりが「被害にあった」と感じている。病気の当事者側に立った意見では、「迷惑だと感じても、その行為の背景をよく洞察してほしい」という趣旨のものが多い。当事者にとっては「周りのひどい対応のせいで混乱が加速した」と、被害意識をもつことが多いのではないか。

 

「障害者のせいで」と考える周りと、「無理解な周囲のせいで」と考える当事者とでは、たぶん話合いはなりたたない。「どっちもどっちだよ」と忠告できる第三者の目を、お互いもつことが必要と感じる。

 

もちろんいつも両成敗というほど、甘くないことも知っている。障害への偏見からひどい態度を選ぶ人は、そりゃそいつが悪い。反対に、全く周囲を無視してふるまう症状で周りを困らせたなら、それは障害であろうと謝る必要はある。

 

しかし互いに、ある程度冷静に考えられるわきまえたヒトであるのならば、怒ったり非難したりする前に、「おそらく自分にも問題がある」と考えて話し合うべきだと思う。頑なになっている相手とでは、そもそも「話にならない」のだから、話合いはありえない。

 

恨んだり、怒ったり、引きずったり。感情的なことは人間らしいことだ、ともいえる。しかし怒りをおさえ、恨みを許し、過去を気にしないよう知性を使う、これこそ人間らしさだともいえる。ふたつの人間らしさのバランス。ダブルスタンダードでも構わないから、御都合主義で、感情と知性を共に表現し、汗かいて苦労できたら、それこそ人くさくて良いと感じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

衝動性のこと

f:id:fishpop:20190801001836j:image

一昨日、昨日、今日は「おもたい」日になった。理由は複数重なっている。ひとつは猛暑、ひとつは寝不足、ひとつは予算、そして人づきあい。

 

人といると、どしどしストレスがたまるので、親しい友人といっても2〜3日家にいられると、キャパを超える。一昨日は友人が泊まりにきて、昨日は友人宅へお邪魔して泊まり、今日は友人の街ですごした。総じてありえない猛暑、若干の寝不足。

 

BPDの友人は「インチュニブ」という、割と最近大人向きに処方できるようになった錠剤を服用している。インチュニブは強烈な眠気や注意散漫という副作用がある一方、「衝動性を抑える」というスペシャルな効用がある。BPDというか、発達障害に効く薬。

 

衝動性。これがすべてのトラブルがとる姿、といっても良いかもしれない。衝動性の原因は「不安感」かもしれないし「さみしさ」かもしれないし「怒り」かもしれない。でも表現されるときには衝動性の姿をとる。

 

衝動性に伴うかけ声は「死んでやる!」「会いに行く!」などがある。いずれにせよ、衝動的にバッと要求・行動して、さまざまな苦痛が、友人自身とその周辺に撒かれてしまう。飛び降りようとするのをグッと抑えたり、道路の真ん中をあるくのを「おーい」と呼んだりしたのは何年も前の話。

 

昨日は友人の街であそび、そのまま解散の予定だった。前日にうちへ遊びにきたのは、予定はずれのちょっとした要望であったから、思いのほか長い時間を一緒にいたことになる。猛暑、寝不足、お互い疲労していたから、スムーズな「またね」に適した時頃だった。

 

ここで、友人はインチュニブを切らしていて、1日インチュニブ抜きで過ごしていたことを書いておかなきゃいけない。インチュニブの服用を開始してからというもの、衝動性は本当に軽減していた。

 

ところがお薬1日抜いただけで「今日泊まりに行く」という号令が飛びだしたのだった。衝動性が、理性をすっとばして、というか派手に蹴っとばして、全面にズズイと現れて仁王立ちした。そこそこ賢い「今後のよてい」はぺちゃんこになって萎れた。

 

お金は使いきっていて、これから我家に呼ぶならば予算オーバー、あちらも節約中のはず。それに第1ちょっと具合もわるい、これはお互い猛暑ゆえだ。それに2日続けて遊んだわけで、3日目に突入する理由は特にない。ここで「またね」が最適解なのは、お金的にも体力的にも予定的にも、疑いないはずだった。

 

「泊まりにいく!」というのは、「一緒にいたい」「ひとりはいやだ」という理由からはじき出された、理屈度外視のまさに「衝動」だった。

 

ひととおり揉めて、わがままを渋々きくかたちで泊まりにくることになる。そこから先はなかなかの混乱があったけれど、順にまとめると、こう。

 

まずお茶がしたいとのことで、どこにするか、というところで一悶着。奢って欲しいという旨のことばにムッときて、こちらは「わがままに振り回されている」と感じ、友人はそんな私の「不機嫌な態度にふりまわされている」と感じる。

 

それから、友人の希望よりもチープな店にはなってしまったけれど、喫茶店へ。到着する頃には友人の足腰が激痛状態に。ある怪我の後遺症で、疲れ・気圧・湿度などが痛みに変わるのだ。とくに精神的に不安定なときほど「感覚過敏」状態で痛みの感じ方が増す。後遺症の辛さ・悔しさなども相まって「死んだ方がましだ」というくらい絶望してしまう。

 

このとき私は、「これ以上歩くのはキツイはず、どうしたらいいかの」という心配・配慮のきもちと「反対をおしきって自分でむりやりきたのに」というモヤモヤするきもち。「なんでここにいるんだろう」とか「鎮痛剤効くかな」とか諸々のきもち。そしてなにより疲労困憊のイッパイイッパイなきもち。これらを上手にブレンドして気の利いたセリフを言えるほどの、余裕はなかった。

 

そこで互いに衝突。

こちらのぶっきらぼうな無言にしびれを切らして怒りを伝えられた。「なんで黙ってる。おら、言えよ」「私が迷惑なんだろ?だったら死んでやるよ。今日でおわりだ、さよなら。」

 

お互いに「いいかげんにしろよ」という、同じ気持ちを持っていたのがよくわかる。

 

「こっちは辛くて痛いのに、不機嫌な態度のせいで余計に不安にさせて、メンタルメチャクチャだ。いいかげんにしろよ?」VS「わがままいって都合無視して、おまけに迷惑なら死んでやるとブチギレる。なんなんだこの状況、いいかげんにしろよ」

 

険悪至極なムードに隣のお兄さんもビビっていた。このあとお店の閉店時刻のため退店、脚の痛みで歩けないので、新宿からタクシーへ。歌舞伎町で運ちゃんするにはこんくらいじゃないとダメなのかな、ってくらい態度の粗い運転手への苛立ちに、支払いのさみしさが一枚加わってしんみりした。

 

友人の街で「またね」ならば、家計簿どおりピッタンコだったのに、ゴリゴリ削られてこれから厳しい。欲しいもの、必要なものは概ね我慢が確定した。と、しょぼくれた不満がつのる。しかしこのタクシーのあたりで、これはすごい成長なのだけど、友人は落ち着きつつあった、と思う。(*このお金のこと、後で話をすることになった。別の記事でまとめます)

 

金銭、時間、都合、体調、そういった諸々、「ふりまわしたかもしれない」とか、後悔とか。衝動性や怒りが退いて、冷静な雰囲気としゅんとした雰囲気、「ミスったなら今からでも気遣いできるかな」とか、そういう反省的な、配慮的なものがみられた。これは昔はなかったこと。「相手も悪いが、自分も悪い」と考えられるというのは、実は、自我がリッパじゃないとできないことだ。素晴らしい自我の成長。

 

こちらも、ここまできてイライラとか、ムッとか、お金が、とか、そういうダサいのは無しでいかなきゃホントにダメだと気持ち切り替える。実際これからしんどいだろうけど、かといってなんなのだ、という感じに楽天的にいく。

 

これで、なんだか、いつも通り「なかなおり」と相成った。トラブルの内容は、体の不調、希死念慮、こちらの不機嫌と無言、お金のことなど。そしてそれらをひっくるめてぶちまけた根源は、「衝動的な行動」と「丁寧にとめなかった」ということ。衝動性は怖い。衝動性は、行動になるまえに止めるべし。

 

 

今回のまなび

ひとつ、インチュニブはすごい。

ふたつ、衝動性はやばい。止めるべし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眠れない話

この頃ねむれない。この記事も不眠で迎えた朝5時にかいていて、台風がきているので雨垂れが聞こえる。買っておいた朝ごはんの菓子パンは夜中にたべてしまったし、タバコも吸い過ぎてしまったし、ロクでもない夜が終わったと思う。

 

昨夜、洗濯物を干した途端にポツポツ降り出したので、干したものたちは干す前よりも濡れてしまった。日中は30度を超えるようなのでそのままにしてしまう。

 

エアコンの室外機の上にガジュマルがある。夜中の雨を吸って、これからくる夏のような日差しを浴びて元気に育つと嬉しい。この木の土の下には、亡くなった魚が埋めてあるので、なおさら育つといい。

 

炊飯器がほしい。片手鍋がほしい。下着がほしい。頭の中が混雑していて、エアコンは効きすぎていて寒い。お香を焚いていたから、よい香りがする。

 

体を洗う石鹸がない。