魚のスポンジ

友人は境界性パーソナリティ障害 (BPD )、5年の付き合い。

お金の話し合いのこと

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先日の記事が友人をひどく傷つけて、二人は衝突した。問題の箇所は、お金にかんすること。今のこの記事、何度書き直してもうまくいかないから、まとめながら書いていきます。

 

■衝突の原因

私がブログに「友人の衝動的なわがままのせいで、お金を使いすぎた」と書いたこと。予算オーバーの原因が友人だけにあるように書いてあったので、それは違うと指摘された。

 

■経緯

遊ぶ約束をした。

→遊んだ。

→解散の頃に私の予算がぴったり無くなる感じだった。

→友人が「解散せず泊まりに行く」といった

→私は「泊まりに来ちゃダメ」と断った

→友人は「ダメと言われても行く」と言った

→断りきれずに泊まりに来ることになった

→道中に出費があって予算オーバーした

→予算オーバーした旨を、「わがままのせいで予定外の出費があり、予算オーバーした」というふうに、友人が悪いという感じの内容で書いた

→友人ブログ読み傷つく

→衝突した

 

■友人の意見・状況

「低収入というふがいなさを棚にあげて、予算オーバーしたのをこちらのせいにするのはひどすぎる」

「人として最低だ。すぐに謝ってほしい」

「ひどく傷つけられて、ストレスで自傷までした。」

「お金の管理は個人の問題。予算オーバーの問題はそちらの問題なのに、なすりつけられた」

 

■私の意見

「わがままがなければ無かったはずの予定外の出費だから、間違ったことは書いてない」

「低収入なのは事実だけれど、それに見合った金銭管理はしている。だから泊まりに来ちゃダメって断ったのに責めらるのはおかしい」

「予定外の行動は今だけでなく頻繁にある。その積み重ねを無視しないでほしい」

 

■話すうちに気がついてきたこと

・友人は最近の生活で、お金のやりくりという苦手分野にチャレンジしてうまく行きつつあった。そんな時に、些細な出費を責められたら本当に傷ついた・傷つけてしまったということ。

・こちらがそもそも収入がすくなく、常に節約状態だという事実を、私が忘れていたこと。「低収入を棚に上げて」という友人の指摘は正しいということ。

・友人側は混乱して過呼吸気味、「死ぬ」とまで言っている状況。そんなときに自分の非に納得できない私のメンタル?認知?的な問題。

 

■気づくべきところ

・私は、今回の出費の原因が相手にあったとしても、それで痛手を負うくらいに収入が少ないことを認めるべき。「予算オーバーのせいでほしいものが買えなかった」というのではなく、「稼ぎが少なくてほしいものが買えなかった」というのは事実なのだから、相手だけに非を押しつけるのは間違っている。予定外の事をされるのはたしかに困るけれど、そのストレスを相手の責任ばかりにするのは、考えが偏っているということ。

 

■衝突後に気づいたこと

・傷つけた事実と、何で傷つけたかは別問題だということ。傷ついて激怒しているのだから、そのことを謝ることは初めにできたはずだった。納得いかない点は、それから落ち着いて話すこともできたはずだった。

・自我が未熟であると、非を受け入れるのが難しいということ。たとえば私の側では「すぐに謝れない・カタクナになる」という点。

 

■後々おもったこと

多くの状況は、色々な見方ができるということがわかった。切り口を変えることでいくつもの事実を作ることができる。「こうとも言えるし、ああとも言える」を受け入れないと、喧嘩になることもある。

 

とくにストレスフルな状態だと、どうしても自分本位になるのは、皆んなに共通なことかもしれない。「自分がこんな被害にあった」という見方ばかりに偏ると、自分側の非が見えなくなるということ。

 

BPDに限らず精神疾患に関して調べると、よくまわりが「被害にあった」と感じている。病気の当事者側に立った意見では、「迷惑だと感じても、その行為の背景をよく洞察してほしい」という趣旨のものが多い。当事者にとっては「周りのひどい対応のせいで混乱が加速した」と、被害意識をもつことが多いのではないか。

 

「障害者のせいで」と考える周りと、「無理解な周囲のせいで」と考える当事者とでは、たぶん話合いはなりたたない。「どっちもどっちだよ」と忠告できる第三者の目を、お互いもつことが必要と感じる。

 

もちろんいつも両成敗というほど、甘くないことも知っている。障害への偏見からひどい態度を選ぶ人は、そりゃそいつが悪い。反対に、全く周囲を無視してふるまう症状で周りを困らせたなら、それは障害であろうと謝る必要はある。

 

しかし互いに、ある程度冷静に考えられるわきまえたヒトであるのならば、怒ったり非難したりする前に、「おそらく自分にも問題がある」と考えて話し合うべきだと思う。頑なになっている相手とでは、そもそも「話にならない」のだから、話合いはありえない。

 

恨んだり、怒ったり、引きずったり。感情的なことは人間らしいことだ、ともいえる。しかし怒りをおさえ、恨みを許し、過去を気にしないよう知性を使う、これこそ人間らしさだともいえる。ふたつの人間らしさのバランス。ダブルスタンダードでも構わないから、御都合主義で、感情と知性を共に表現し、汗かいて苦労できたら、それこそ人くさくて良いと感じる。