魚のスポンジ

友人は境界性パーソナリティ障害 (BPD )、5年の付き合い。

処世術の話

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強いストレスに見舞われて、避けられないと悟ったら、受け容れるに限る。ここでゴネたりスネたり怒ったりは、悪手だと考えるようになった。

 

ストレスを避けるために、日々の足どりにはもちろん注意を払う。それでも歩けば棒にあたるのが世の常だという。たとえ悪さをしなくても、バチめいたものに直面することはよくある。これを「理不尽」というそうだ。

 

そんな折には処世術を心得ていないとひどいことになる。いろいろ経験して、2つのステップで受け容れるようにしたら、なかなか有意義なことに気がついた。

 

ひとつめのステップは、「理不尽は世界の基本構造なんだ」と納得すること。なんだかエライ目に遭っているぞと感じても、驚くようなことではないんだと思うことにする。「なんで自分がこんな目に!?」なんて仰々しく悲痛を訴えるくどさは嫌。自意識過剰なのではと思う。散歩中、棒に激突した不運なノラ犬らしく、ぜひ「痛ってえなぁ」なんて数秒たちどまって、すぐに棒を残して行く方が、好き。

 

それでもストレスには変わりないので、二つ目のステップ「せいぜい道中楽しめれば良し」とわりきる。いつまでたっても棒と犬との激突現場にこだわるのは、面白くない。現場検証するほどの事故ではないのだから、さっさと場面を展開して、話のネタにでもするのが良いと思う。

 

こうしていると、なんだか自分の価値がダダ下がる。下がりすぎるのは良くないというのもこの頃学んだ。自己主張も大切。いっぽう諦めも大切だ。そんなご都合主義な波乗りでふらふら過ごしている。