ゴールデンバットについて
黄金バットではありません。たばこの銘柄「ゴールデンバット」。1906年(!)の発売以来きわめて長いあいだ売られてきました。「わかば」「エコー」、沖縄の「うるま」とあわせて旧三級銘柄と呼ばれることも。かみくだいていえば、安いたばこのひとつです。
10月には税率が云々して値段がかわるとか。わかば、エコー、ゴールデンバットは、大幅な値上げで「安い」というアイデンティティがなくなってしまう。ということで、JTはこの3銘柄を、売り切ってお終いにすると発表しました。
私は、ずっと「バット党」。ゴールデンバット愛煙者です。古い詩集をよめば、詩のフレーズに「ゴールデンバット」とか「バット」の文字がちらほらみられます。
たばこって、プロダクトとして美しいです。ゴールデンバットは先に述べたように、1906年生まれ。もとは中国へ出荷する目論見で、中国的に縁起物である「2匹のコウモリ」「緑のパッケージとゴールドの文字」で渋くデザイン。ところが類似の商品がすでにあったらしく、輸出はやめて国内へ流通、さまざまな労働者、文化人に愛されて今にいたる、という歴史。
戦時中はカタカナが使えなくて、「金鵄(きんし)」という名前で流通、古物屋さんで当時の金鵄がうられているのを見たことがあります。
10月以降、ゴールデンバットは消えてゆきます。わかばとエコーはリトルシガーに生まれ変わるとか。うるまは沖縄で根強い人気があるので、価格を上げて販売継続。
救済措置が得られなかったのはバットのみ。「バットありがとう」と、残念な気持ちを今感じています。センチメンタル。
ながい道の話
ながい道のり。この先の道のりが長いとか短いとか、未踏のゴールのことではなくて。去った者との距離が、とか、通過したかつてのゴールを振り返って、とか、そういうときの「長い道のり」。
BPDの友人はいくつもの小さな通過点を、右往左往・試行錯誤しつつ着実に踏破してきた。並大抵のことではなかった。彼女の愛する魚が逝ってしまったのは、日が変わって昨日のこと。
自分も同じように、愛しい魚を失ってロスの只中だからよくわかるのだけれど、これはただごとではない出来事。心に穴があくとはこのことかと知る。
渦中、かつての彼女ならできなかったような、感情の美しいともいえる起伏があって、魚の死を私も悲しみながら、ここまでしっかりと成長している友人に感動したりもする。思わず「GOOD JOB」の握手があった。
ちゃんと悲しんでいる。感情がはみ出て暴走するということがない。深く悲しんでいる。防衛反応としての変な怒りとか、自暴自棄がない。脈絡のない爆発がない。状況が自意識の熱で蒸発せず、消えてしまわない。
自律しているとおもう。これは、いつだったか、数年前からだと思うけれど、彼女が目標とした状態のひとつだった。「辛すぎて急に頼ってしまったこと」を、私に謝ることさえした。辛さにあって、人を気遣っていた。いつのまにか辿り着いていた。
長い道のりをあるいてきたな、と思った。ものやいきものを愛することができて、悲しむことができて、学び、行い、変わってきた。これからも変わってゆくし、とっくに変わってもいた。それに私たちは変わり者だ。
私たちの魚はどこかに行ってしまった。物理的には、各々の観葉植物の根のあたりにいる。空想的には「ミニカーに乗って走り回っている」ことにしている。ロマンチックに言えば心の中にいる。小さな魚が、彼らの体の色とお揃いのミニカーをブンブンいわせている、ということ。彼女にもこの言葉は通じている。
魚たちの道のりに距離はあるだろうか。とはいえ、ミニカーに乗って行く道は、どうしたって美しいはずだ。
はみ出る話
気持ちを表すのが下手で、気持ちを表わそうという気持ちもほぼない。自分はそんななのに、意見のわからない曖昧な人をみるとイラッとする。そしてその「曖昧な人と君は似てるね」と言われて、嫌〜な気持ちになった。
ハッキリしているほうが良い。どちらかというと。ぐにゃっとした雰囲気の、曖昧な人はキモチワルイ。自分がその類に属するからなお嫌だ。
感情豊かな人がいる。それが「わがまま」に近い態度であっても、キチンと心情を分析して「私は今、こうだ」と言える姿は美しい。稚拙な分析であったり、側からみて違うように思えても、だ。
とどのつまり、自分はチキンで勇気欠乏症で、ハッキリ派の人々に憧れがある。
感情をキチンと自分の輪郭から「はみださせて」行くのは大事だ。
カレーの話
最近スパイスカレーの本を買った。スパイスカレーとは、ルーをつかわず香辛料から作るカレーのこと。
かつてスパゲティは外食の定番で、家庭料理ではなかった。著者の印度カリー子さんは、スパイスカレーを家庭料理にしたいと言う。
実践してみたところほんとにできた。すごく簡単で、ここ最近は毎日カレー。
おいしい。
処世術の話
強いストレスに見舞われて、避けられないと悟ったら、受け容れるに限る。ここでゴネたりスネたり怒ったりは、悪手だと考えるようになった。
ストレスを避けるために、日々の足どりにはもちろん注意を払う。それでも歩けば棒にあたるのが世の常だという。たとえ悪さをしなくても、バチめいたものに直面することはよくある。これを「理不尽」というそうだ。
そんな折には処世術を心得ていないとひどいことになる。いろいろ経験して、2つのステップで受け容れるようにしたら、なかなか有意義なことに気がついた。
ひとつめのステップは、「理不尽は世界の基本構造なんだ」と納得すること。なんだかエライ目に遭っているぞと感じても、驚くようなことではないんだと思うことにする。「なんで自分がこんな目に!?」なんて仰々しく悲痛を訴えるくどさは嫌。自意識過剰なのではと思う。散歩中、棒に激突した不運なノラ犬らしく、ぜひ「痛ってえなぁ」なんて数秒たちどまって、すぐに棒を残して行く方が、好き。
それでもストレスには変わりないので、二つ目のステップ「せいぜい道中楽しめれば良し」とわりきる。いつまでたっても棒と犬との激突現場にこだわるのは、面白くない。現場検証するほどの事故ではないのだから、さっさと場面を展開して、話のネタにでもするのが良いと思う。
こうしていると、なんだか自分の価値がダダ下がる。下がりすぎるのは良くないというのもこの頃学んだ。自己主張も大切。いっぽう諦めも大切だ。そんなご都合主義な波乗りでふらふら過ごしている。
夜の話
「この部屋は落ち着かない」
友人がそう言ってデニーズへ行きたがったのは27時。お互い寝間着で不眠を訴えた時のこと。彼女の「落ち着かない」は「ひどく不安定」な様子。この嵐の夜更けにドリンクバーとしゃれこめば、明日1日は青いドロドロ気分になることうけあいだったし、彼女もそれを知っている。だからなお、幼児のように膝を叩いて要求するのは辛いことだったろう。
こういう事態は多々あって、これまでにも数度経験していた。友人のもつBPDか鬱か不安感かがそうさせるのだけれど、こちらに腑分けする腕前はないので対処は常に手探りだった。要求を呑むこともあったし、断固反対して喧嘩になることもあった。いずれにせよ、私か彼女か私達のどちらもかが、膨らみすぎた負担を背負って、体を重くして朝を迎えるのが常だった。
しかし今夜はデニーズにはいかなかった。彼女は努力して自制を効かせただろうし、私が彼女に、ベッドから床へ移するよう提案したのは、ほんの少し環境を変えるようにという配慮からだった。それから私達は間食をとった。彼女は豆腐をたべ、私はチーズをたべた。
そんなことで、腑分けできなかった心の病は布団に帰った。子供のようにこねたダダをすっと引っこめる様子は、あまりに些細で見落としたほどで、気づくと彼女は布団に包まっている。情動のコントロール。これが出来るようになるまでの、二人の膨大な試行錯誤の蓄積が、秒で遂行された。
今夜ずっと流していたのはビゼー。ジャン=マルク・ルイサダという人のピアノ。嵐めいた雨もいつしか止んでいる。こんなふうに頭も部屋もだいたい、いつも混雑しがちに進む。進んで進んで、雲のように形を変えて、止まったことはなかったと思う。豆腐とチーズが特効薬になるなんてことは、少なくとも医学書には書かれていないだろうから。
梅雨の嵐の話
この写真は嵐の4時間前。6月16日の夜、豊島区は梅雨の嵐に見舞われて、雷鳴とそれに先立つ一瞬の昼間みたいなピカリが泊まりに来た友人を寝かさなかった。希死念慮のために我が家へ避難しに来た彼女は、宵口から妙なテンションだった。
彼女は認知行動療法のあれこれを頭のなかでこなせるようになるほど治療にトライしてきた。今夜は爆弾的な空模様と嵐があって、ややメンタルは下降。それでも低空飛行を維持しているのがえらい。
これから眠ることを脇においてコーヒーを飲むところ。お互い明日の朝からがしんどくなって、彼女は一日を楽しんで無事に帰宅するのが課題、私は仕事なので23時まで墜落しないのが課題。
コーヒーは一人で150cc、2人で300cc。